やまと(倭)古代国家の黎明
和 邦夫
平成28年(2016年) 49件の記事
平成28年12月26日号(7面)
聖武の後は、藤原氏の暗躍もあって聖武直系の皇子がいなくなり、阿部皇女(孝謙、称徳)が皇位を引き継いでいる。 聖武は周囲…
平成28年12月19日号(11面)
宝亀1年8月21日道鏡は密かに久しく皇位を窺う心を抱いていたが、刑罰を加えるには忍びないとして下野国薬師寺別当に左遷、翌…
平成28年12月12日号(7面)
宝亀1年8月4日(770年)称徳没、53歳。 皇子、皇女はなく、後継指名もなかったため後継問題が生じた。右大臣吉備真備…
平成28年12月5日号(7面)
称徳は和気清麻呂に「昨夜の夢に八幡神の使が現れ『大神は天皇に奏上することがあるので尼の法均(称徳に仕えていた清麻呂の姉)…
平成28年11月28日号(7面)
天平神護1年8月和気王(舎人親王の孫)が皇位を狙い、称徳と道鏡を呪詛したかどで逮捕され、伊豆へ配流する途中、絞殺される。…
平成28年11月21日号(11面)
天平宝字8年9月11日押勝謀反がはっきりしたとして、孝謙は軍事対決に踏み切る。淳仁の御所から駅鈴と内印を回収、押勝はこれ…
平成28年11月14日号(7面)
天平宝字4年6月(760年)光明皇太后没、60歳。 光明の死去により、仲麻呂は自分の支えであると同時に孝謙との重要なパ…
平成28年11月7日号(7面)
天平宝字1年(757年)5月養老律令施行。 7月橘奈良麻呂の変 奈良麻呂は諸兄と不比等の娘の多比能の子で、孝謙女帝の…
平成28年10月24日号(7面)
天平勝宝8年2月左大臣橘諸兄辞職を願い許される。 酒席で太上(聖武)天皇について無礼な発言をしたと密告され、太上天皇は咎…
平成28年10月17日号(7面)
光明は皇太后の役所として紫微中台を設置、藤原仲麻呂を長官に任命、孝謙を支える体制を整える。仲麻呂は皇太后を後盾として権力…
平成28年10月10日号(7面)
天平17年9月平城京に戻る。度重なる遷都、造都、仏教興隆のための事業により民は疲弊、巷には怨嗟の声が多かったとされる。 …
平成28年10月3日号(7面)
天平15年10月紫香楽宮の傍らに盧舎那仏の金銅像造立の大願を発する。 行基が弟子たちを率いて大仏造立の寺地を拓くことに…
平成28年9月26日号(7面)
書紀の「広嗣が大宰府少弐に左遷された」という記事については、父の宇合は武人で式部卿から西海道節度使として大宰府を任ぜられ…
平成28年9月19日号(7面)
橘諸兄は敏達の子孫の美努王と犬養三千代の子で皇孫葛城王であったが、天平8年11月臣籍降下を願い、橘諸兄となって三千代(三…
平成28年9月12日号(7面)
日本は中国を模して中華思想をとり、新羅、渤海には朝貢の外交関係を求め続けた。このため、その後、新羅との間に幾多の争いごと…
平成28年9月5日号(7面)
聖武の勅は仁徳の皇后磐之媛は葛城曽豆比古の娘で、皇族出身でない皇后の先例はあると述べている。 藤原宇合、麻呂が参議に任…
平成28年8月29日号(7面)
安宿の立后、阿倍内親王の即位を目指す藤原一族にとって、長屋王とその一族の存在は障害であった。 729年2月に長屋王事件が…
平成28年8月22日号(7面)
奈良時代には仏教の教義研究が進められ、三輪、成実、法相、倶舎、華厳、律の南都六宗の学派が形成されている。 (2)即位直…
平成28年8月8日号(7面)
1聖武天皇 ―天璽国押開豊桜彦天皇 (1)聖武の人となり 聖武は、文武(草壁の皇子)と藤原不比等の娘の宮子との間に…
平成28年8月1日号(7面)
橘三千代は、中級貴族県犬養東人の娘で、敏達の子孫の美努王と結婚。美努王との間に3人の子があり、後に、その1人が臣籍降下し…
平成28年7月25日号(7面)
持統の絶大な信任を得て内内の相談にあづかり、文武を輔弼。大宝1年大納言となり議政官として朝政に参画。元明、元正時代は右大…
平成28年7月18日号(11面)
養老5年右大臣に長屋王、中納言に藤原武智麻呂(不比等の長男、温厚、対話・読書を好むとされる)、参議に房前(不比等の次男、…
平成28年7月11日号(7面)
元明には氷高内親王と吉備内親王の2人の娘があり、吉備は文武即位に際して長屋王の妻となっている。 元明は、文武と不比等の…
平成28年7月4日号(11面)
太政官の重要人物や有力王族に支給される公邸は相続、売買不可であったが、その他の宅地は売買、相続の対象であり、売買は盛んに…
平成28年6月27日号(7面)
成人男子1日の人夫の労賃として銭1文が支給されたが、和銅開珎の銅銭がこれに当てられ、都城建設の重要な財源となったとされる…
平成28年6月20日号(7面)
元明は文武の遺詔により皇位を継いだ。 元明即位の宣明には、「文武は草壁皇太子の嫡子であること、持統から文武への譲位は天智…
平成28年6月13日号(11面)
⑤服装 皇太子以下は礼服として中国的な正装を用いることを定めたが、天皇は日本固有の服装(白)で中国的な服装は想定してい…
平成28年6月6日号(11面)
律令制施行下において少初位から1位まで官人は凡そ1万人いたと見られているが、朝の寅の刻(午前4時頃)から南門の外に左右に…
平成28年5月30日号(7面)
ロ律令制下の公民の主な負担 ①租田にかかる租税で、田1段につき2束2把(収穫の約3%)。 諸国の正蔵に貯備。国司が管理…
平成28年5月23日号(7面)
律令編纂の目的は、先進国唐の統治術を輸入し、古代国家の骨組みを作り上げることであった。 古くからの氏族制を継承しつつ、各…
平成28年5月16日号(7面)
律令制度の確立―大宝律令 (1)律令編纂の経緯 書紀では、日本で初めて編纂された令は天智による近江令で、天智10年…
平成28年5月9日号(7面)
大宝2年には金、銅、錫、明礬、朱、硫黄など鉱物資源が広くから献上されており、全国的な鉱物資源調査が行われたと推察されてい…
平成28年4月25日号(7面)
大宝1年3月21日対馬が金を貢じたことで新元号をたて、大宝元年とする。 大化、白雉以来のことである。産金は偽りであった…
平成28年4月18日号(7面)
持統は、天武を日の御子(現人神)とし、天武により日本国が建設され、皇位は草壁に始まると認識し、草壁の嫡子のみを正当な皇…
平成28年4月11日号(7面)
持統8年12月藤原宮に遷都。 10条10坊、広さは5・3平方キロ。人口は3―5万人と推定されている。ここに中国的都城、…
平成28年4月4日号(7面)
686年9月24日天武の殯宮で大津は草壁に無礼な言動があったとされる。直後に伊勢国へ出奔。伊勢神宮の斎王である姉の大伯皇…
平成28年3月28日号(7面)
天武12―14年(683―685年)国境画定。 官人と技術者に全国を巡行させ、諸国の境界を定めた。 国―評―50戸制が確…
平成28年3月21日号(7面)
天武10年2月草壁を皇太子とし、一切の政務に預からせる。草壁は温順凡庸な人物であったとされる。 当時は皇太子制度の成立…
平成28年3月14日号(7面)
天武4年3月栗隈王を兵政官長に任命。 10月諸王以下全官人に武装を命じる。 5年9月京畿内の武備点検。 8年親王以…
平成28年3月7日号(7面)
天武天皇 ―天淳中原瀛真人天皇 673年即位、686年没、56歳(生まれは631年頃とみられている)。 天武2年2月…
平成28年2月29日号(7面)
古事記は天武の意図を踏まえて古来の伝承を集大成したものであろうが、日本の正史と位置づけられる日本書紀では天皇支配、天武王…
平成28年2月22日号(7面)
天武の動静は日本書紀の天智の章には殆ど記されておらず、この時期の天武の立場は必ずしも明らかではない。 天智没直後に起きた…
平成28年2月15日号(7面)
(1)国際情勢 天武の生きた時代(631―686年)、持統の生きた時代(645―702年)は、大陸では唐が覇権を確立す…
平成28年2月8日号(7面)
天智臨終の際の会談で天武に求められたのは、大友の後見、補佐の役割であった。天武は、こうした立場を受け入れることを拒否し、…
平成28年2月1日号(11面)
天武は開戦の理由を大友側近の奸臣排除としている。天智、大友の王権を否定してはいない。天武は自分は王権の簒奪者ではなく、正…
平成28年1月25日号(7面)
672年6月27日尾張国司小子部鉏鉤は近江朝廷方であったが、実力を持つ尾張国造の尾張連氏、大海氏などが大海人方についたた…
平成28年1月18日号(7面)
第4章壬申の乱 壬申の乱は天武政治の出発点である。 この乱に勝利することで天皇即位を実現し、天武政治を展開すること…
平成28年1月11日号(7面)
近江令施行 鎌足に編纂が下命されたと言われるが、完成しなかったとみられている。 書紀には近江令の編纂を明記する記事は…
平成28年1月4日号(11面)
天智7年2月古人大兄皇子の娘の倭姫王を皇后に立てる。前天皇の娘を皇后に立てたくても適者がいなかったため、それに次ぐ近親者…