今年の5月、宮沢賢治の心象スケッチ『春と修羅』に収録の長篇詩「小岩井農場」の舞台となったこの農場に行ってきた。総面積は3000ヘクタール、東京ドーム640個分という日本最大の民間牧場だ。賢治は緑豊かな農場に想像力をかき立てられ、この地を「聖地」と名付けた。
 私にとっても、岩木山を仰ぎ見ながらのバーベキューの地は「極楽」だった。


≪トランク一杯の原稿≫

 賢治は盛岡高等農林学校を卒業後、大正10年に突如上京、本郷菊坂町に間借りし猛然と創作に没頭する。弟の宮澤清六が記した『兄のトランク』によると、「一カ月に三千枚も書いたときには、原稿用紙から字が飛び出して、そこらあたりを飛びまわったもんだ」と話したという。
 同年8月、賢治は妹トシの病気悪化の知らせに、茶色のズックを張った巨きなトランクに原稿用紙を一杯詰めこみ花巻に急ぎ帰る。賢治は「童子こさえる代りに書いたのだもや」などといいながら、風の又三郎などの話を聞かせ家族を喜ばせたという。


≪税務署長の冒険≫

 賢治の短編作品に『税務署長の冒険』がある。ハーナムキヤ(花巻)の町から来た税務署長は、どぶろくの密造が盛んだとにらむユグチュユモト村に行く。どぶろくの密造は不法で、不衛生、不経済だと熱弁をふるう。そして、密造しているのはお見通しだと村人達を威嚇し、罰せられる前に税務署の支援の下、合法的な清酒工場を作るようにと説く。しかし、村人達は、署長の言葉に脅えたり恐れたりする様子もなく愉快に笑っているだけだった。
 そこで、署長は部下を出張させ調べさせ、酒屋の売上が毎年減少していることを突きとめる。ついには、自らひげを刈り、顔や首すじにタールを塗り、にせ金歯をはめ変装する。古びた上着に乗馬ズボンに長靴をはき、他人の名刺を使ってトケイ(東京)の乾物商になりすまして潜入する。
 とうとう、村ぐるみの密造工場を突き止めたが、村人達に捕まってしまう...。


≪どぶろく特区≫

 ところで、明治の頃、主要な税収であった酒税の確保のため、明治19年には自家用清酒製造が禁止され、32年からはすべての自家用酒製造が禁止となり、密造酒取締りも厳しくなる。明治末期から大正期に入ると、検挙件数も東北6県で1年間に4千件から5千件まで飛躍的に増加した(『税務署の創設と税務行政の100年』税務大学校研究部編大蔵財務協会)。『税務署長の冒険』は、こうした時代を反映したものだ。
 しかし、時代は変わり、平成15年には地域振興の観点から構造改革特別区域いわゆる「どぶろく特区」が認められた。また、「全国どぶろく研究大会」が毎年開催され、全国各地の事業者による自慢のどぶろく約100銘柄も試飲できるという。


 みやざわ・けんじ 明治29年(1896年)~昭和8年(1933年)。岩手県花巻生まれ。大正13年第一詩集『春と修羅』、童話集『注文の多い料理店』を自費出版。病臥するも、『銀河鉄道の夜』、『雨ニモマケズ』を記す。

平成29年7月31日号

平成29年7月31日号