2000年春、かつて日本語教室に参加していた若手職員の一人、アリーが国税総局の和田の事務室にやってきた。彼は、国税総局...
1998年夏、三浦は日本のある多国籍企業のアジア移転価格戦略のサポートをすることになる。これも東山と共同で対応するもの...
1999年夏、インドネシアの隣国、シンガポールに三浦の姿があった。彼は、現地日系企業向けに「アジアでの国際課税対策」と...
話は1年近く前に遡る。1999年3月後半のある日、和田は国税総局の付加価値税担当局長から相談を受けた。  「インドネシ...
暗く落ち込んだ数日を過ごした後、和田は偶然老紳士、ジェイに出会った。和田は死んだ若手職員のことを話した。ジェイは黙って...
「さらに酷いのは、裏金の送金先の銀行口座名義が、知らないうちにドゥークの名義になっていました。結局、ドゥークが勝手にや...
インドネシア国税総局は、その日のうちに報道機関に向けてコメントを出した。  「日本の税務当局から課税情報が流れることは...
2000年春、「JP商会が巨額の不正資金をインドネシアの大物政治家に支払い」というマスコミ報道が行われる。  一方、こ...
「英国人コンサルタント自身が英国IRからの課税を恐れたためか、そもそも10億円は彼の収入、所得ではないとの説明があった...
「巨額の事案であり調査を急ぎたい。可能であれば、英国内国歳入庁の情報交換担当者に文書ではなく、直接電話で接触し現地での...
税務担当課長の額からは、大粒の汗が流れていた。彼は、税務当局は海外にそう簡単には手を出せないはずだと思っていたのである...
「高額の支払い手数料の送金、それもスイスの銀行へ。この手数料の中身は何ですか」  受取人が英国人コンサルタントであり、...
話は数か月前に遡る。1998年秋、JP商会はインドネシア・ジャカルタの私立大学建設プロジェクトの仲介手数料として英国人...
1998年12月、和田の下へ一通のグリーティングカードが届いた。送り人の宛名はジェイと書かれていた。ジェイは、和田がサ...
インドネシアの人々は明るい。人との関わり、楽しい交流が大好きである。特に、私的な懇親会があると喜んで踊り、歌う。  和...
1998年10月、和田はインドネシア国税職員向けの日本語教室を開講した。  和田がダメもとのつもりで提案した日本語教室...
1998年6月22日、和田は正式にインドネシアに赴任した。彼の正式な肩書はJICA長期専門家。インドネシアでのポジショ...
インドネシアでの私立大学建設プロジェクトの相談があった翌日、東山は三浦を再び誘った。  「三浦さん、昨晩は失礼しました...
JP商会の三人は驚いた。三浦が初めて口にした言葉が「ダメ」。税務担当課長は少々不機嫌な表情で言葉を返した。  「まずい...
JP商会の事業部長が合いの手を入れるように話を続けた。  「それが、今年新しい展開を迎えたんです。この春に大臣が変わり...
その夜、ロンドンの一流ホテルの一室に複数の男女が集まった。  日本の商社JP商会のインドネシア担当事業部長と税務担当課...
1998年の夏のある日の昼過ぎ、英国ロンドンのシティにある証券取引所の前で黒髪、青い瞳の美女が一人たたずんでいた。  ...
ムスリー氏は、現在は税務研修所長としてJICA専門家を直接受け入れる立場の幹部職員であった。実は、JICA専門家は、当...
5月13日、和田はインドネシア国税総局(日本の国税庁に相当)、税務研修所(日本の税務大学校に相当)を挨拶と事前打ち合わ...
1998年3月、和田は突然の人事異動の打診を受けた。  「JICA専門家としてインドネシア・ジャカルタに駐在する話があ...
ヴァイオリンの高く乾いた音色に似た騒がしい鳥の声、そして、ピッコロの音色のように明るく楽しく軽快な小鳥のさえずり。  ...