「うわっ、もったいない。」

 「また、新しいのがくるからいいんだよ。」

 「そっか、そっか。」

 休み時間にチョークを投げて遊んでいるクラスメイト。チョークはあっという間に粉々に砕けてしまった。こっちでは黒板消しに水を含ませて投げ合っている。黒板消しは布がはがれてボロボロになっている。

 初めは「ダメだよ。」「やめなよ。」と声をかけていた生徒も、今では見て見ぬふりである。私も、どうせまた補充されるんだから大丈夫だと、それが当たり前だと思うようになっていた。でも、やはりそれは間違いだった。

 先日、学校で開かれた租税教室で、税は私たちの暮らしに欠かせないものになっていることを学んだ。学校にある机も椅子も、電気も水道も、税金で新しく買い換えたり補修したりすることを聞かされた。

 毎年、新しい教科書がもらえるのも当たり前、クーラーが効いた図書館があるのも当たり前、一一九番に通報したら、消防車や救急車が出動するのも当たり前だと思っていたけれど、もし、税がなかったら、こんな生活はできなくなるという。当たり前だと思っていたことができなくなるなんて、とても生活しづらくなると思った。

 私の妹は赤ちゃんの時、突然、呼吸困難になって救急車で病院に運ばれた。命を取り留めたのは、救急車がすぐに駆けつけて病院に搬送してくれて、すばやく治療ができたからだと、家族全員が感謝している。

 もし、税がなくて消防署が民間の会社だったら、救急車を呼ぶのにはお金がかかり、出動の手続にも時間がかかり、妹の命は助からなかったかもしれない。

 百円のものを買うのに、百八円払わなくてはならない。ワンコインで済むところを、消費税なんて面倒くさい。税なんてなくなればいいのにと思っていたが、租税教室で私の考え方は一八〇度変わった。何か事が起こるたびに「これは税が使われているのか。」と意識するようになった。

 つい最近も「西日本豪雨」の報道に触れるたびに、復旧のために、あれにもこれにも税が使われているのだと思い知らされた。税のおかげで、被災者が徐々に今までと同じ生活を取り戻している。消えかけていた笑顔を取り戻している。税は人々の暮らしに役立っているのだと思うと、まだ、自分の力で税を納めてはいない身なので、感謝の気持ちでいっぱいになった。よりよい社会生活を当たり前に営むためには、税の存在が欠かせないものであることを思い知らされた。

 人口減少、高齢化社会と税はさまざまな難問を抱えているが、将来を担う私たちが、きちんと税を納めて、その有意義な使い道を考えて、当たり前の今の生活を支えていきたいと強く決意した。

平成30年12月3日号

平成30年12月3日号