昨年九月、台風による豪雨被害がぼくのおばあちゃんの住む町を襲った。忘れもしない、ぼくが前期末試験を控えた四日前の出来事だった。鬼怒川の氾濫により堤防が決壊し、たくさんの家や田畑が水没した。おばあちゃんの家の四軒先まで水が来た。幸いにも水没は免れたが、ライフラインが広範囲で不通になったため、おばあちゃん家にいる家族は皆ぼくの家で数日過ごすことになった。水がひざ上まできたというおばあちゃんの友人・知人は、自衛隊や消防の活躍により救出され避難所へと運ばれた。少し水が引き主要な道路が開通したころ、母と様子を見に行った。小高い橋の上から見た光景は、今まで見ていた景色とは程遠いものだった。家も、穂が垂れたままの稲も、乗り捨てられたままの車も、まだ水没したままだった。そんな中でぼくが見たものは、腰まで泥水につかりながら横一列になって水の中を探る自衛隊の人たちの姿や、現場でボートを出す消防の人たちの活躍、交通整理など往来を見守る警察官などの姿だった。

 数日後、おばあちゃんは家が心配になり帰っていった。まだライフラインは不通のままで、町の中の各所では、給水作業や炊出しが行われていたそうだ。日が経って、ぼくがおばあちゃん家に行く途中、目にしたものは、大量のゴミの山と消毒のための石灰だった。あれからだいたい一年が経ち、うそのように町はきれいになり、笑顔が戻ってきた。

 もし、自衛隊や消防士の助けがなかったら、浸水した場所で高齢者や危険にさらされた人々はどうなっていたことだろう?交通混乱の中で誘導がなかったらどうなっていただろう?また、あの大量のゴミの回収・処理がなかったらどうなっていただろう?

 私たちの税金には、社会保障関係、公共事業関係など様々な使い道がある。災害対策や町の整備や住宅支援、道路の整備、警察や消防などの公的サービスもそのひとつだ。

 今、世の中では、町の特産品がもらえるというふるさと納税に人気が集まっている。今回の水害により、特産品のお返しができないにもかかわらず、以前にも増してふるさと納税額が急増していると聞いた。人々のあたたかい心に力をもらい、復興と被災者支援のかてになるに違いない。

 「血税」という言葉を聞いたことがある。調べると、その言葉には歴史があるが、今では「国民の労力」という意味でつかわれるようになったとのことだ。でもぼくには、体を流れる「血液」のように思える。なぜならば、人の体に「血」はなくてはならないもの、それと同様に人々が汗水流して働いて納めた税金がめぐりめぐって人々のために社会の中で有意義に使われなければならない血液、それが「税金」だと感じたからである。

平成28年12月19日号

平成28年12月19日号