両親の国、日本とブラジルの二か国で育ったためか、私の中には常に二つの伝統文化や風習、価値観が存在する。時としてこの両面が良くも悪くも作用し、私を悩ませることが多いのだが、偶然にも共通するものがあると、私の興味関心は一気に高まる。

 中学生にとって夏の風物詩とも言える税の作文。高校生の兄が中学生の時から夏になるとこの作文をきっかけに税の話題になる。この夏も家族で税について話しているとき、ある共通点に気がついた。それは日本もブラジルも自ら進んで納税しようとする人が少ないのではないかという疑問である。

 今年の夏は、リオオリンピックがマスコミに取り上げられることが多かった。四年に一度のスポーツの祭典で世界中が盛り上がる。その一方で、ブラジルで起こった暴動や不安定な社会情勢が招く、事件も報道されたその時、母は私にこう教えてくれた。「実はブラジル国民の中にはオリンピック開催を望んでいない人が多いんだよ」と。この事実に私は愕然とした。ブラジル国民は、自分達が納めた税金を社会問題の解決に使わずにオリンピックという一大イベントに費やしていたことに怒っていたのだ。この話題の後、父は「どこの国の人も税金を快く納める人は少ないよな」と言った。私はとても違和感を覚えた。確かにこれまでも「税金を納めなければならない」という言葉はよく耳にしたが、この時まで深く考えることはなかった。「税金を納めなければならない」をどうすれば「税金を納めよう」に換えることができるだろうか。私は、自分の意見を持ちたいと思った。

 限られた期間ではあったが夏休みに私は税について理解を深め、三つの考えを持った。一つ目は、税は「どのようにして平等かつ公平に使うのか」ということが大切であるということである。平等でなければ、納める人は納税を受け入れることができず、自ら進んで快く納税することができないのではないだろうか。二つ目は税の仕組みを単純なものにするということである。複雑な仕組みの税をできる限り分かりやすいものにすることによって、税が私たち国民の生活をいかに支えているのかということが分かる。そして三つ目は税の使途が透明であり、多くの人に支持されるものでなければならないということである。自分たちの生活のこの部分に、この税が使われているということが見えれば、もっと生活をよくしたいと考える人は進んで納税するのではないだろうか。少しでも税を納める側の立場になって税の仕組みづくりができれば税を取り巻く環境も変わるのではないだろうか。

 将来にわたって日本を良くするための方法の一つは、優れた税制度を構築することである。国民が支持する税制度を築くことができれば、「税金を納めなければならない」から進んで「税金を納めよう」という声をよく耳にする社会になるのではないだろうか。

平成28年12月19日号

平成28年12月19日号